大学は不思議な場所。

大学はやっぱり高校とは違う。何が違うかっていうとまず、服。高校生は制服だったけど、大学生は私服。あと髪の毛。金髪だったり、帽子かぶってたり。つまりオシャレってことかな。

次は、ホームルームクラスがない。あったとしても、みんなのつながりは薄い。みんなが、個人個人で動いている。高校生のような集団行動はない。戯れたければ、サークルや部活動をする必要がある。

最後に、自由な活動。これはサークルでもそうだけど、みんな好き勝手に暮らしてるわけ。法を犯さなければ、自由です。出たい授業にでて、作りたい友達作って、帰りたくなったら帰ることだってできる。

 

いや~ボッチにはきついっす・・・。ぼっちにとっては、自由=解放でもあるし、自由=放流でもあるわけです。前者は、面倒なつながりかが、束縛がないって意味。後者は、いきなり大海に放り出されたような・・・前も後ろもわからんって感じです。ボッチ根性だけあって、なにも用意してないと俺みたいに大変なことになります。コミュ力を高校時代に運よく(悪く?)養う必要がなかった僕は、その世界で見事にボッチになったわけです。制度とか集団とか、指示といった記号・地図がないと生きていけないんですよ。

「むう 俺はぼっちを満喫しているし、お前みたいなヘナチョコといっしょにされたくないわい!!」と怒り心頭の人もいらっしゃるかもしれません。が、前にも書いたように私はあなたを「ある程度の状態において孤高な人」と認めますが、「ぼっち」とはみとめません。ネガティブな意味合いが強い「ぼっち」を、一人を楽しんでいる自分に無理やりあてはめて、意味を曲げるようなことはしてはいけない。

で、タイトルはいったいなんだ、ということなんですが・・・。ボッチは大学においては究極的な個であります。高校ぼっちと大学ぼっちの違いは、やはり度合違いだと思いますよ。一人になるのなら、とことん一人になれるのが大学。

それで、ぼっちとして、歩く大学のお昼は楽しいですよ。いろんな人がいるなぁ・・・って改めて思うわけです。当たり前だけど、「独り」だからこそ強くその事実を感じるんだよね。サークルのビラ配り、メガホンで政治問題を言及する団体、カップル、外人、ショートカットとして大学内を通る一般人、学食にいるリーマン・・・。天気のいい日に、ぼーっ・・・とそんなキャンパス内を見ていたら、大学が非常にカオスな場所に見えた。「今はぼっち多いなんて言うけど、活動してる人をみると、みんな集まってなんかしてんじゃん!」そんな日もありますあります。